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皆さんの生活に少しずつ根付いてきた“リユース”という言葉。私たちセカンドストリート(以下、セカスト)も、リユースショップのひとつです。でも実は、リユースって元々、日本に古くから根付いていた文化だとご存知でしたか? このページでは“リユースとは何か”、そしてここ日本において“リユースがいかにして広がっていったのか”を紐解いていきます。この機会に、私たちと一緒に、リユースについて学んでみませんか?
2nd STREET “FUTURE”未来のために
リユースで何が出来る?
衣類の廃棄がこんなに。知ってましたか?
ファッション産業では、原材料の調達、生地・衣服の製造、そして輸送から廃棄に至るまで、それぞれの段階で環境に影響を与えています。また1人あたり(年間平均)の衣服消費・利用状況では、手放す枚数が平均12着、一年間一回も着られていない服が一人あたり25着もあります。洋服を手放す際にはその7割に当たる数が廃棄されているのです。


どんなお別れの仕方が多い?
服を手放す手段は大きく分けて三つあります。地域や店舗で回収してもらう。リサイクルショップ(リユースショップ)やフリマアプリ等を通じ譲渡や売却すること。資源として、可燃/不燃ごみとして廃棄すること。現状は可燃ごみや不燃ごみとして手放される割合が最も高くなっています。


手放した服がリユース・リサイクルを通じて再活用される割合の合計は約34%。年々その割合は高まっているものの、まだまだ改善の余地はありそうですね。
リユースすることでこんな環境配慮に。
服一着が回収によりゴミとして廃棄・焼却されなければ、約0.5kg(500mのペットボトル500本分)のCO2が削減されます。リユースはとても身近なサスティナブルの一環なのです。またセカンドストリートでは、株式会社京都紋付の黒染めREWEARプロジェクト「K」と協業した、着られなくなった服を生まれ変わらせる黒染めサービスも企画しています。

あなたにとってもう必要なくなったものでも誰かが必要としていたり、まだまだ使えるものもたくさんあるかもしれません。もっと気軽にリユースを利用することで、少しだけ良い未来が待っているかも。さああなたも今日から始めてみましょう!
PLAYFUL! 2nd STREETセカストに売ってみよう
買ってみよう!
まずはタンスに眠っている衣服や使っていない家電を出してみよう!
まだ使えるもの、使えないものに
仕分けしてみよう!よし!まずは近くの
セカストに持って行ってみよう!
あなたの街のセカストは?お近くの店舗を探す
宅配買取もあるの知ってましたか?
遠方でも、忙しい時でも宅配買取を依頼してみる
オンラインストアで1点ものを見つけよう
あなたらしいを探しにオンラインストア

古くは、「江戸時代」から。
平安時代に執筆された『落窪物語(おちくぼものがたり)』には、「白き袷(あわせ)ひとつをこそ着てゐたりつれ。子どものふるぎぬやある」という文章があります。「ふるぎぬ(古衣)」とは、まさに古着のこと。おそらく衣服が生まれた時から、“衣服のリユース”は行われてきたのでしょうが、それがビジネスとして大きく発展したのが江戸時代だと言われています。
当時、日本橋富沢町(現:東京都中央区)を中心に古着市場が広がっていました。江戸では古着屋、上方では古手屋と言ったそうで、1690(元禄3)年に出版された『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』には、古手屋の挿絵が載っています。
江戸の町を、「古着、買おう」と声を掛けて歩く麻袋を担いだ古着買いや、竹の道具に古着や古い衿、裏地などを吊るして売り歩く古着売り(ふるぎうり)がいたようです。
そして古着商いは、17世紀後半から18世紀初頭にかけて盛んになっていきます。古着屋の中にはビジネスを発展させて、木綿屋を兼ねた呉服屋になり、さらには大丸や高島屋のような百貨店に拡大していく店もありました。
木綿は江戸時代に普及し始めました。それまで衣素材といえば麻ばかりでしたが、より暖かく着心地の良い木綿が加わるようになり、さらに徴税対象であった絹や麻と違い自由に売買できたことから、木綿は各地で人気となっていきました。消費財の綿が登場したことで、麻だけの時代より衣服の購入や買い替えが頻繁となり、古着も増えていったというわけです。
また、着物は明確なサイズや、流行・性差による形の変化も少ないため、“古着“という文化にマッチしていたことも、日本で古着文化が根付いた要因の一つであると考えられます。
古着は、同じ品質なら新品より安価で購入できます。限られた予算の中で、より質の良い着物を手に入れようと思ったら古着を買えばいい。ゆとりのある人は呉服屋で反物を買い仕立ててもらえばよいですが、そうでない人たちは、今ならファストファッションを買うように古着を買うようになりました。
江戸や大坂などの都会には、質の高い古着を集められる武家や金持ちの商人が大勢住んでおり、一方で、着物を仕立てることが難しい町人も多く住んでいたので、古着の需要と供給が高く、古着市場も発展していきました。

社会問題を救うリユースのあり方
江戸末期、幕末の日本は内戦状態でした。その頃には欧米列強が来日しており、彼らの機能的な軍服を知った日本人は、戦いには洋服が合っていると考え、洋服風の軍服も多く用いられました。しかし明治維新以降、それは必要なくなります。というのも、多くの着物が古着屋に出回ったのと同様に、軍服も古着屋に並ぶようになったからです。場所も江戸時代と変わらぬ、日本橋富沢町や神田川の柳原河岸などでした。
明治時代には、軍隊や郵便配達員など洋服を制服とする職業が次々登場するほか、学生服も着用されるようになります。日清戦争後に中学校が次々と開校された時、制服の仕立てが間に合わず、払い下げた軍服の寸法などを多少直して安く売った地域もありました。着るものが和服から洋服に代わっても、人々が古着を着続ける生活は変わりません。しかし、明治時代の終わりにペストが流行すると、衛生問題を理由とした古着商への規制が強化され、消毒や燻蒸が義務付けられるようになりました。
大正時代の1923年に関東大震災が起こると、古着商人の中心地は秋葉原に移転しました。1930(昭和5)年の「問屋案内地図」という資料によると、132軒中なんと和洋古着店が44軒もあり、当時の古着商が扱っていた商品は着物から洋服、さまざまな制服も含め、衣類ならなんでもござれという状態でした。輸入した古着を日本人に合わせて改造する「改造洋服」という商品や、選別しない古着や古布を詰めた「百品入梱ボロ」などという商品なんかもあったそうです。
1931年から15年戦争に突入すると、布も服も自由に手に入らなくなり、配給制となります。それから戦後の混乱期までの長い間、婦人雑誌に「更生服」の記事が毎号のように掲載されました。「更生」とは、リメイクのことです。闇市では古着が高値で売られ、農家は、都会からやってきた女性が野菜と引き換えに置いていった高級な着物をリメイクしていました。今も岐阜にある服の問屋街は、戦後に満州から引き揚げてきた人たちが始めた古着商に原点があり、軍の放出品などを扱っていたそうです。
1960年代後半になると、ベトナム戦争が起こりアメリカでヒッピーと呼ばれる人たちが登場しました。彼らは社会に「NO」を突き付けるため、わざと古着や民族衣装をジーンズに組み合わせる“ヒッピーファッション”をしており、このヒッピーファッションは日本の若者にも大きな影響を与えました。そんな1960年代は、化学繊維が際限なく布を生み出せるようになった時代でもあり、高度経済成長下に大量生産大量消費が当たり前となる使い捨て時代がやってきました。
1970年代から既製服が当たり前になるのと同時に、古着がファッションとして認識されるようになります。アメリカでは、「チープ・シック」が脚光を浴び、その一つに古着がありました。アメリカンカジュアルの人気も影響したかもしれません。また、ダメージをわざとつけたパンクファッションもリメイクと言えますよね。
1980年代には、コムデギャルソンやヨウジヤマモトがパリコレクションでボロルックを発表し、世界のファッション界に一石を投じますが、これも新品の完璧な服だけがお洒落ではないという価値観の転換を示しています。さらには、原宿の古着屋であるシカゴやサンタモニカなどをお洒落雑誌「an・an」で目にするようになりました。
1990年代には、フリーマーケットがブームになっていきます。そして20世紀末には1970年代のヒッピーファッションのリバイバルともいえるグランジルックの流行とともに、民族衣装や手作り感のある服飾に関心が集まります。最新コレクションに古着をリメイクしたものを発表するデザイナーや、人々の思い出深い古着をリメイクして渡すアート活動を行うデザイナーなどが現れました。若者は、古着が一点物であるとか、着古されて肌になじむとか、様々な理由から古着をファッションの重要な一要素として捉えるようになりました。セカンドストリート1号店が開店したのは、まさにそんな時です。
2002年に経済産業省が「中古衣料のリユースビジネスモデルに関する調査・検討」を実施。その調査によれば、1966-74年(昭和40年代)をリユースの転換期と捉え、それ以前を「新品不足を補う実需系中心の時代」、以後を「ファッション系中心の時代」と区分しているとか。
昨今ではSDGsが地球全体の最重要課題となり、ますます衣服のリユースはファッションとしても社会課題の解決策としても役割を担う存在になっていくでしょう。
SDGsが策定される
9月、国連サミットで2030年までに持続可能でより良い世界を目指す開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)が加盟国の全会一致で採択。これは17のゴールと169のターゲットから構成され、以降「誰一人取り残さない」社会の実現を目指した取り組みが、国際社会のスタンダードに。
CtoC(個人間取引)拡大
ネットオークションやフリマアプリでの中古品売買が一般化し、CtoC(個人間取引)のEC市場も拡大。また環境意識の高まりを受け、リユースが見直されるようになり、子どもたちに物を大切にする意識を持たせる教育も行われるようになりました。
温暖化ストップの動き
ヨーロッパを中心に急進的なEV推進策が打ち出されるなど、世界的な脱化石燃料の流れが進みました。これに伴い日本でも経済と環境を両立しながら、温室効果ガスの低排出型社会を目指す動きに。
グローバル化する日本企業増
国内市場の縮小化が危ぶまれる中、新たな市場拡大や成長の可能性を求めて海外進出する日本企業が増加した年です。その数は前年比の約5.2%増で過去最多。割合はアジア・北米・西欧の3地域が全体の9割を占める結果に。
不用品の買取需要急増
前年からの長引くコロナ禍により、自宅にて過ごす“おうち時間”も増加。この機会に自宅を整理して不用品をリサイクルショップ(リユースショップ)やフリマアプリなどで売却しようとする人が増えたことに伴って、買取需要も急増しました。
記念すべき1号店「セカンドストリート東バイパス店」がオープン
アメリカでアトランタオリンピックが開催されたこの年の4月、香川県高松市に1号店となる「セカンドストリート東バイパス店」がオープン!ちなみに同店は現在も営業中です。