サンバ、ガゼル、スぺツィアル…揺がぬ人気 〈adidas アディダス〉の “テラス系”スニーカーを識る。
…なんて序奏から、今回のテーマはオリンピックと思いきや、ヒントはカフェのくだりに隠されている。パリのカフェ風景といえば、通りに面したテラス席。この“テラス”というワードは、古フランス語で“盛り土”を意味する言葉に由来すると同時に、近年のスニーカー業界におけるトレンドとも関係する。ハイプやハイテクといった華やかなデザインではなく、極めてシンプルにしてベーシック。されど汎用性が高く、合わせるスタイルも不問。それが通称“テラス系”といわれるモデルたちであり、その中心にあるブランドが〈adidas アディダス〉である。
また我が国において、テラスは古墳など古代の遺構を指す場合もある。”故きを温ねて 新しきを知る”をテーマの一つに掲げるKnowbrand Magazineにて取り挙げる話題としても、これ以上なく相応しい。それではお待ちかね。今識っておきたいテラス系スニーカーと、その盛り上がりをここから深掘っていくとしよう。
英国サッカーカルチャーから
生まれた“カジュアルズ”と
その足元のハナシ
「テラス系スニーカーとは?」 その答えを述べる前に、改めてアディダスの歴史をプレイバック。始まりは1924年。ドイツの靴商人の息子であったアドルフ‧ダスラーとルドルフ‧ダスラーが興した「ダスラー兄弟商会」を前身とする。主に生産を弟・アドルフ、販売を兄・ルドルフが分業し、ランニングやサッカー用シューズの製造販売を行っていたダスラー商会は、同社製シューズを履いた陸上選手がオリンピックで金メダルを獲得したことを機に、国内で高い評価を得ていく。
のであったが…月に叢雲 花に風、とかく浮世はままならず、二人三脚で走り続けてきた兄弟は1949年、経営方針の違いにより袂を分かつことに。かくしてアドルフは、〈adidas アディダス〉を設立。対するルドルフが〈ruda ルーダ〉というブランドをスタート。この会社がのちに〈Puma プーマ〉となり、両ブランドは同業のライバルとして今へと至る。…というところまでワンセットで覚えておけばもう十分。今回の本題、テラス系スニーカーに話を移そう。
近年、巷で耳にする機会こそ増えたが、テラス系がどういったモノを指すのか知らない人も多い。WEBメディアやSNSでは、「トゥ部分にアルファベットの“T”の字に見えるオーバーレイを重ね、アッパー甲部分の低いモデルがテラス系と呼ばれている」と記述しているものもあるが、これは“結果的にそうなっている”に過ぎず、明らかに説明不足。その誕生の背景に、1970年代に英国で誕生したサッカー発祥の文化、“テラスカルチャー”の存在があることを忘れてはいけない。
先だって、テラスとは“盛り土”を意味すると述べたが、ここでのそれは、かつて多くのサッカースタジアムで立ち見だったゴール裏の席を指す。そこに集まる労働者階級の熱狂的サッカーファンの若者たちと、彼らのファッションはFootball Casual =通称“カジュアルズ”と呼ばれ、それまで定番だったボタンダウンシャツ&ロールアップしたジーンズが、トラックジャケットやスポーツウェアに。そして〈Dr.Martens ドクターマーチン〉のブーツが、アディダスのスニーカーへと置き換わり、ユース世代の新たなムーブメントとして英国全土へと広がっていった。
この時、彼らの足元に履かれていたのが、現在テラス系と呼ばれるトレーナーたち(カジュアルズはスニーカーをこう呼んだ)。本稿ではそのラインアップの中から、御三家とも呼ぶべき鉄板モデルをはじめ人気の5足をピッチへと送り出す。それでは、いざキック・オフ。
〈adidas アディダス〉
【テラス系スニーカー①】
「SAMBA サンバ」
テラス系御三家の筆頭格にして、
アディダス最古のサッカーシューズ
まずは、テラス系スニーカーの元祖とされている御三家筆頭「SAMBA サンバ」。1950年のサッカーワールドカップ ブラジル大会に合わせて、サッカー用スパイクとして誕生し、御三家なんて古式ゆかしい言い回しで紹介されるだけあって、紡ぐ歴史も70年以上とまごうことなきクラシック。また同社における最古のモデルとしても知られる。
そのユニークなネーミングは、ブラジルの伝統的なダンス“サンバ”に由来している…という説が存在するが、当のアディダス自体が公式サイトで否定。「では正解は?」というと、ドイツでサッカーの試合時に薄氷の張ったピッチでこのシューズを履いた選手が卓越したパフォーマンスを披露したことに由来するとか。公式見解ながら、ドイツ+氷=サンバという関係性が全く意味不明で、真相は藪の中。しかしながら長い歴史を誇るモデルであることは、ディテールからも読み取れる。
まずは、トゥ部分にあしらわれたT字型のオーバーレイだ。同社テラス系スニーカーの最大の特徴ともされるこの意匠は、単なるデザイン的装飾にあらず。元々は、ダメージを負いやすいトゥ部分の補強を目的とし、同時に美しく流れるような形状のキープにも一役買っている。
歴史とともに進化していったサンバ。先述のようにサッカースパイクを出自とし、通常のソールではグリップの効かないフィールド用に開発されただけあって、初代のDNAが色濃く残っているのがガムラバーソールである。特に前足部の3つの吸盤に注目したい。これは体重がかかった際に穴の中の空気を逃がし、真空状態にすることで地面との接地力を強化し、滑りを防止する効果がある。日常生活においては恩恵を感じづらいが、サッカーマインドは確かに息づいている。
ここで浮かぶ疑問。「かようにオールドルックなサッカーシューズが、なぜテラス系スニーカーの元祖と呼ばれ、今日の人気の立役者となり得たのか?」 。その答えを紐解くためには、1990年代にまで歴史を遡る必要がある。
当時、クリーンなシルエットと特徴的なブラウンカラーのソールが再評価され、大ヒットしていたサンバ。アメリカでは、南カリフォルニアのスケーターが。イギリスでは、サッカーと当時流行していたブリットポップを愛する若者たちが愛用し、彼らのライフスタイルにも着実に浸透していった…はずが、2000年代に入ると一変。その姿はストリートを離れ、自宅のシューズボックスの中に(ただし、一部のピストバイク乗りとスケーターには人気だった)。あぁ、盛者必衰…と思いきや流行は繰り返す。
ハイプなスニーカーブームに翻す反旗か、はたまた誰もが一足は持っているオールドルックな佇まいが、むしろ新しく感じられただけなのか。真相は明らかではないが、2022年頃よりスーパーモデルがロープロファイルなフォルムを気に入って履き始めたことをきっかけとなり、再び脚光を浴びることに。こうしてストリートというピッチに劇的カムバックを果たし、その後の人気はご存じの通り。〈GUCCI グッチ〉をはじめとするビックメゾンから、新進気鋭のストリートブランドまで、数多のラブコールを受け、今なお多様なコラボレーションモデルを世に輩出し続けている。
〈adidas アディダス〉
【テラス系スニーカー②】
「GAZELLE ガゼル」
ガゼルorガッツレー。
読み方は変われど、
変わらぬミュージシャン人気
テラス系シューズ御三家はまだ続く。お次は「GAZELLE ガゼル」だ。1960年代初頭に存在した前身モデル「OLYMPIADE オリンピアード」、1965年のプロトタイプとアップデートを経たのち多目的トレーニングシューズとして1966年に誕生。…と、その前に気になるのがこの名前。往年のスニーカーフリークにとっては、「ガッツレー」という呼び名の方がしっくりくるに違いない。
実はガッツレーというのは、ドイツ語読み。一方のガゼルは、英語読み。冒頭のブランドの歴史でも触れたように、アディダスの創業地はドイツ。このことからかつて日本でも前者のガッツレーが標準となっていた。しかしいつの間にやら、読み方はガゼルに統一。この背景にはアディダスが世界展開する上で、世界共通語である英語読みを浸透させていった…のではと考えられる。
ただし、〈OAKLEY オークリー〉をオークレー、〈SUPREME シュプリーム〉をサプリーム(なんだったら略してサップ)と読むように、オールドスタイルのガッツレーを貫いてみるのも一興。とはいえ、若人の前で自慢げに披露すると老害認定必至。ご使用の際は相手をご確認の上、自己責任で。
ディテール面にも目を向けてみる。テラス系の定番意匠であるトゥ部分のT字型オーバーレイは、言わずもがなの標準装備。加えて、デボス(型押し)加工が施されたシュータンにもサッカーシューズらしい雰囲気を漂わせる。アッパーと色分けされ、甲部分に密着する柔らかな素材感とトレフォイルロゴとのマッチングも絶妙だ。
アウトソールには、六角形のパターンが並ぶヘキサゴンソールを採用。前出のサンバと比べるとやや淡泊な印象を覚えるも、これがトラクションとパフォーマンスを飛躍的に向上させ、日夜トレーニングに励むプロアスリートたちから圧倒的支持を集めた。ちなみにこのソールが採用されたのは、誕生から5年後の1971年。それまでは、ヘリンボーンパターンなど別意匠のソールが装着されていた。ベーシックなデザインの陰にも進化の歴史あり。
またカゼルを語る上で、忘れてはならないのがこのモデルを愛用したミュージシャンたちの存在。1970年代〜80年代には、若き日のマイケル・ジャクソンやザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ボブ・マーリー、90年代に入るとビースティ・ボーイズ、ザ・ストーン・ローゼズ、オアシスにブラー、スーパーグラスなどなど枚挙にいとまがない。中でも、ジャミロクワイのフロントマンであるジェイ・ケイを思い浮かべる人も多いのでは。1996年リリースの世界的ヒットチューン『バーチャルインサニティ』の衝撃的なMVにおいて、流れるようなステップを披露する彼の足元に履かれているのが、まさにこのガゼルだった。ウンチクを重ねるならば、彼のサイズはUKの8と1/2。覚えておいて損はない。が、特に得もない。「Yeah,yeah,it’s alright.」
〈adidas アディダス〉
【テラス系スニーカー③】
「HANDBALL SPEZIAL
ハンドボール スペツィアル」
ハンドボールプレーヤーのために
開発された“スペシャル”な1足
いよいよ御三家も最後の1足。これまでの2足とよく似ているが、どことなく雰囲気が異なるそのシューズの名は「HANDBALL SPEZIAL ハンドボール スペツィアル」。今では、サンバ、ガゼルと並んでテラス系スニーカーとして人気を博しているが、その名前からも察することが出来るように、サッカーではなくハンドボールをルーツとする。
サッカーに比べると地味に思われがちなハンドボールだが、実は“空中の格闘技”とも称されるほどエキサイティングな室内競技として、ヨーロッパでは高い人気を誇っている。特に発祥地の1つとされるドイツではメジャースポーツの1つに数えられ、本モデルの誕生はそんな同地におけるハンドボールの歴史とも深く関係する。
当時、強豪国と位置付けられながらも長らく王座から遠のいていたドイツ。そんな状況から脱し、勝利を渇望する選手たちの熱い想いに応えるべく、アディダスがシューズ開発を始めたのが1975年のこと。その後の1978年には試作モデルを履いた代表選手たちが世界選手権で悲願の勝利を果たし、見事母国に40年ぶりの優勝をもたらした。そして翌1979年。この輝かしい実績を携えたシューズは、ドイツ語で特別を意味する単語“SPEZIAL”を冠したトレーニングシューズとして正式にリリースされ、今日に至る。
ディテール各所がハンドボールに特化しているという点も興味深く、サッカーシューズをルーツに持つサンバと比較してもその違いは明らか。アウトソールを例にとると、スペツィアルのそれは厚く、優れたクッション性が期待出来る。またカカトをしっかりホールドするヒールカウンターを備え、履き口のカカト部分も高めに設定されていることが分かる。シューレースは、結びやすく解けにくいオーバルタイプ。これらは全て試合中にジャンプを繰り返す空中の格闘技のために開発された証左といえる。
サンバ、ガゼル、ハンドボール スぺツィアル。三者三様で似て非なるも、アディダスにおけるテラス系スニーカーの御三家ともカテゴライズ出来るモデルたち。全部揃えて違いを楽しむも良し。好みの一足を偏愛するも良し。
最後にややこしい話なのだが、覚えておきたいひとネタ。現行ラインアップの中に、「adidas SPEZIAL アディダス スペツィアル」 という名称で展開されている一群が存在する。これは同社のヘリテージスタイルを継承しながら、最新のテクノロジーを取り入れたシリーズを指す。共通してSPEZIALの文字をその名に冠しながらも、そのデザインは多様。ゆえにネットでワード検索する際は、SPEZIALだけでなくHANDBALLの8文字もお忘れなきよう。
(→アディダスの「ハンドボールスぺツィアル」をオンラインストアで探す)
〈adidas アディダス〉
【テラス系スニーカー④】
「TOBACCO タバコ」
ちょっと一服したくなる
玄人好みのルックス。
アイランドシリーズの元祖的存在
御三家に続くとしたら御三卿? いやいや、徳川の三つ葉葵ではなくトレフォイル、そして残すは2モデル。先に紹介した3つのモデルと“テラス系”という共通項で結ばれ容姿も似ているが、ともに少し違ったストーリーを持つ。そういった点では、ある意味近しくもある。それではまずこちら。「TOBACCO タバコ」をご覧あれ。そのネーミングから真っ先に煙草を連想するのは、愛煙家だけではないはず。
かといって、それが由来かと問われればNOで、他にも諸説あり。同モデルの初登場は1972年。デンマーク国内向けのカタログが初出とされ、もっとも有力視されているのが、美しいサンゴ礁を擁する穏やかなビーチが魅力的な中央アメリカ北東部の国、ベリーズの島「タバコ‧ケイ」を由来とする説である。
リリース当時は、レジャーシューズとして展開されていたというタバコ。これはアスリート向けのレザー製トレーニングシューズが多勢を占める中で、 「もっとカジュアルにアディダスのシューズを楽しんでもらいたい」という、アディダスの想いを形にしたものだった。茶色のスウェードアッパーとガムソールによるファッション性の高いルックスは、翡翠色のカリブ海に面した美しきリゾートのイメージにもマッチし、タバコ・ケイ説はグッと真実味を増してくる。
ここでもディテールをサンバと比較してみるとしよう。甲部分が低くロープロファイルな佇まいは同様だが、前足部のウィズ(横幅)が広めに設計されているため、よりメリハリの効いたフォルムに感じられる。また、トゥ付近まで伸びたシューレースホールによって、フィット感の微調整も容易に。スウェードアッパーの柔らかな質感の恩恵も感じやすく、リラックスした履き心地が楽しめる。
この後、「タチヒ」「マイアミ」「ハワイ」といった派生モデルが続々と登場し、アディダスとファッションとの親和性を世に知らしめる絶好の契機に。デビューから50年を経てなお、世界各地のリゾート地や島の名前を冠した通称“アイランドシリーズ”の元祖的存在として、アディダスマニアとヴィンテージ・フリーク、その両方に愛され続けている。
〈adidas アディダス〉
【テラス系スニーカー⑤】
「BW ARMY BW アーミー」
質実剛健にして汎用性高し。
風格漂うマルチボトムス
最後を飾るのはこの1足。一般的にはテラス系に含まれないが、とりあえず写真を見てもらいたい。“モノ好き”な読者諸氏であれば、こう思うだろう。「これって、『ジャーマントレーナー』では?」と。それもそのはず、1970年代に西ドイツ軍が屋内演習用に開発したトレーニングシューズ、通称ジャーマントレーナーを元ネタとした「BW ARMY BW アーミー」である。
テラスカルチャーの中心にいたカジュアルズ流のスニーカーの呼び名である“トレーナー”にかけて、本稿の末席に加えることにした。ちなみにジャーマントレーナーはアディダスが考案したのというのが通説。これは当時、同社が製造に関わっていたことが関係しているようだが、例の如く諸説入り乱れているため、深く言及は避けておく。またモデル名に冠された「BW」は、オリジナルのソールに刻印されていた“BW SPORT”の文字から取られていると思われるが、同時にドイツ連邦軍(BUNDESWHER)の略称“BW”からとも推察される。この辺も不明確にしたまま、想像を楽しむというのが正解かと。
では、改めてBW アーミーのディテールを見ていこう。まずは、スニーカーの顔たるトゥ部分。甲の低いロープロファイルなフォルムに設計され、スウェード素材との切り替えにより耐久性も向上。続くアッパーサイドは、通常はそこにあるはずのブランドの象徴“スリーストライプ”が存在せず、ステッチのみのアクセント。これはオリジナルと同じディテールを踏襲しており、アディダスなりの敬意の表れとも読み取れる。
続いてはシュータンだ。オリジナルには軍用の証であるナンバリングが刻まれているが、こちらはトレフォイルロゴに置き換えつつ、同色仕上げでひたすらシンプル。基本フォーマットはジャーマントレーナーに準拠しながらも、匿名性とさりげない主張を両立。ゆえにヒールにもロゴやブランド、モデル名が入らない潔さ。最小限まで削ぎ落とされたデザインには、ミリタリー由来ならではの無骨さと機能美が携わっている。
また飴色のガムラバーソールに目を向けると、アウトソールに刻まれたパターンがサンバと酷似していることに気付かされる。用途の異なる2つのモデルに、なぜよく似たソールが? これは、アディダスがジャーマントレーナーとサンバを同時期に同じ生産ラインで製造していたことに由来し、本稿でテラス系にカテゴライズした理由にも繋がる。
また本モデルの小話として面白いのがシューズデザインについて。生産を担当していたからといって、勝手に意匠を模倣して許されるものなのかと疑問が浮かぶが、軍用ということで一般販売を前提にせず、意匠登録や商標登録をしないパブリックドメイン的扱いとなっているがゆえ問題なし。これにより、〈Maison Margiela メゾン・マルジェラ〉〈DIOR HOMME ディオールオム〉〈REPRODUCTION OF FOUND リプロダクションオブファウンド)」など、様々なブランドからレプリカがリリースされている。そしてその全てが、ミニマルな表情に宿った“アノニマスな美しさ”を最大の魅力としている点も変わりない。
これが今、極東の島国・日本において大きな潮流となっていることは確かであり、その主役であるオールドルックなアディダスのトレーナーたちが、いくつもの時代を越えてなお、人々を魅了し気持ちを再燃させるパワーを持っているのも、また揺るぎなき事実。
次回も、“時代を超越して愛される”という根幹は変えることなく、誰もが知る往年の名モデルを招集し、その揺るぎない人気と魅力を掘り下げていこうではないか。“adidas wide open!” さらなるアディダスの世界へ。
(→揺がぬ人気〈アディダス〉の【往年の定番スニーカー編】はこちら)
Illustration: Hisayuki Hiranuma