スタンスミス、スーパースター、キャンパス…揺がぬ人気 〈adidas アディダス〉の “往年の定番”スニーカーを識る。
〈adidas アディダス〉のスニーカーを主題とする今回のknowbrand magazine。【前編】において、オリンピック開催地・パリを象徴するカフェ風景と、その名物である屋外席・テラスの由来を枕に、極めてシンプルにしてベーシック、されど汎用性に優れたスタイル不問の名選手。通称“テラス系”といわれるモデルたちにスポットを当てたのである。
そもそもが、1970年代に英国で誕生したサッカー発祥の文化、“テラスカルチャー”から生まれたこのワード。かつて多くのサッカースタジアムで立ち見席だったゴール裏に集まる、労働者階級の熱狂的サッカーファンの若者たちのファッションが、Football Casual=通称“カジュアルズ”と呼ばれ、ユース世代の新たなムーブメントとして英国全土へと広がっていったことに端を発する。この時、彼らの足元に履かれていたのが、テラス系スニーカーというわけだ。
そんな知ってそうで知らないトリビアにより、序文から1ポイント先取したところで【後編】のテーマへと話を移す。1949年のブランド誕生以来、数多く生み出されてきた名作アーカイヴ。その中から、ファンでなくともご存じであろう“往年の定番”モデルたちをここに招集し、それぞれのストーリーを紐解いていくーー。
〈adidas アディダス〉
【往年の定番スニーカー①】
「STANSMITH スタンスミス」
“ミニマル”をその身で体現する、
キング・オブ・白スニーカー
今では多岐にわたって用いられる定番という言葉。実はこれ、流行に関わりなく安定した売上げが期待出来る商品=定番商品の略。なればこれ以上に、先陣を切るのに相応しいモデルはないだろう。全世界で約2000万足以上の販売実績を誇り、1991年には“世界一売れたスニーカー”としてギネス記録にも登録された、キング・オブ・白スニーカー。それが「STANSMITH スタンスミス」。
プロテニス選手として通算100勝を記録し、のちに国際テニス殿堂入りも果たしたアメリカの国民的英雄、スタンレー・ロジャー・スミス氏のシグネチャーモデルとして知られる同作。誕生に至る経緯は1965年にまで遡る。当時、全英オープンであるウィンブルドンで初優勝を飾った彼の足元に履かれていたのは、「HAILLET ハイレット」というシンプルなテニスシューズであった。これに注目したアディダスは正式に契約を結び、彼のアイデアを反映させた「HAILLET∕STAN SMITH」というダブルネームのシューズが誕生。のちの1972年にリネームされ、彼の愛称であるスタンスミスの名でコートに姿を現したというわけだ。
当時、レザー製テニスシューズは革新的なものだったが、このモデルの魅力を伝えるのに余計な言葉はいらない。ミニマル、この一言に尽きる。半世紀以上経た令和の世でも十分に通ずるディテールは、当時からほぼ変わっていない。特筆すべきは2つ。まずトレードマークである、サイドの三本ライン(スリーストライプス)の代わりに配された、パーフォレーション(通気孔)である。
シューズ内の通気性を高める効果を狙ったものではあるが、その成立にはテニスのルールが深く関係しているという。当時は、他スポーツに比べてユニフォームの規約も厳しく定められていて、白いユニフォームの着用が通例となっており、当然シューズにもこれを適用。白い無地のデザインでなければ許されなかった。そこで機転を効かせたアディダスは、通気孔を3本のラインに見立てることで、機能性にデザインを忍ばせることに成功。のちに、トレードマークとして浸透していった。
また、白ボディに映える鮮やかな挿し色にも理由がある。この色はフェアウェイグリーンと呼ばれ、テニスコートの芝生から着想を得たとか。一般的にはフェアウェイと聞いてゴルフを思い浮かべがちだが、そもそもティーインググラウンドからパッティンググリーンまでの間の、“芝生を短く刈り揃えて整備されたエリア”を指すという点では間違っていない。このウンチク込みで覚えておけば、達人のティーパッドよろしく話もよく転がること請け合い。
特筆すべきディテールのもう1つが、シュータンに描かれたスタン‧スミス氏の肖像画とサイン。時代ごとにデザインの差異があるというのはマニアには有名な話だ。1998年には、日本企画のアレンジモデルとしてシューレース部分をベルクロに変更した「スタンスミスコンフォート」がリリースされ、通称「ベルクロ」の愛称でも親しまれた。よく似たモデルに、かのストリート界のゴッドファーザー・HF氏が愛用していた「MASTER マスター」もあるが、こちらはバスケットボールの審判用として1970年に登場した、似て非なる別物なので注意が必要。
先述のフェアウェイに関する部分だが、由来が航海用語の“安全な航路”からきていると考えるならば、「これさえ履いておけば間違いない」という、現代ファッションシーンにおけるスタンスミスの置かれたポジションを、既に予言していたと言えなくもない。
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〈adidas アディダス〉
【往年の定番スニーカー②】
「SUPERSTAR スーパースター」
ストリート・カルチャーとの
橋渡しをも担った革新的バッシュ
時を経てなお人々の記憶に残り続ける存在を、人はスーパースターと呼ぶ。続いては、唯一無二のファッションアイコンとして人々を魅了し続けるモデル、その名も「SUPERSTAR スーパースター」の登場だ。生まれは1969年(市場に投入されたのは翌1970年)。今では知らぬ者も多いが、バスケットボール用のシューズを出自とする。
当時のバスケットボール界では、1917年に登場した〈CONVERSE コンバース〉の「オールスター」に代表されるキャンバス製バッシュが主流で、見た目にも重厚感のあるレザー製のスーパースターは、なかなかコートデビューの機会に恵まれなかったという。されど名作は自ずと認められるもの。NBAチーム、サンディエゴ‧ロケッツの選手が着用したことを契機に、優れた履き心地と高い耐久性を有するこの革新的バッシュは徐々に人気を博していく。
実際、その後の1974年にはNBA選手の実に約75%以上が、スーパースターを自ら購入して着用していた時期もあったというほど圧倒的シェアを獲得。アメリカ発祥のバスケットボールの世界において、同国を代表するスポーツカンパニーであったコンバースを抜き去り、ドイツ生まれのアディダスが台頭したことを示すこの数字は、アメリカがその存在を認めた証とも言い換えられよう。
ではここで、圧倒的シェア獲得の原動力となったディテールについても触れていこう。最優先すべきは、ツマ先部分を覆うラバー素材のシェルトゥだろう。その名が示すように貝殻を思わせる放射状のラインは、激しいコート内でツマ先を守るプロテクターの役割を果たす。これを開発したのが、アディダスの製造国の中でもっとも評価が高いフランスのデザインチームと聞けば、センスの良さにも納得。有り難みも倍となるというもの。
のちに、シェルが半分のハーフシェルや、シェル自体を排したノーシェルなど、様々な派生モデルも誕生していくのだが、やはりシェルトゥあってのスーパースター、これに異論は認めない。
とはいえ、世界屈指のプレーヤー揃いのNBAで支持を集めた理由はそれだけにあらず。細かいヘリンボーンパターンと湾曲するラインが施されたソールデザインにより生み出される、高いグリップ力とクッション性もまた見どころ。ストップ&ゴー、そしてジャンプといった素早く多用な動きが求められるバスケットボールにおいて発揮された優位性は、この後、全く別のフィールドで発揮されていく。
1970年代初頭までは、あくまでアスリートのためのスポーツメーカーとして認知されていたアディダスだが、徐々に状況が変わり始める。その先陣を切ったのもスーパースターだった。まだ産声を上げたばかりだったヒップホップ・カルチャーを構成する要素の1つで、鮮やかなフットワークとフロアパフォーマンスで魅せるダンス、ブレイキン。その伝説的チーム、ロックステディクルーのメンバーを介して、ストリートでの流行が始まったという証言もある。
そして80年代に入ると、スーパースターは様々なカルチャーとの橋渡し的存在としての存在感を増していく。その嚆矢となったのが、1986年にアディダスとスーパースターへの敬意を表した曲「My Adidas」を歌った、ニューヨークはクイーンズ出身のヒップホップ‧グループ、Run-D.M.C.だ。このストリートに輝く三つ星は、当時異例だったミュージシャンとスポーツブランドとのパートナー契約を実現させ、ストリート・カルチャーの持つ可能性を世に示した。そんな彼らとスーパースターを語る上で欠かせない、あのスタイルについても触れておかねばならない。
それが上記イラストにも描かれた、シューレースを外して履く“ノーレース”である。彼らの若い頃、ゴールドチェーンと同価値とも表現され、ストリートキッズ同士の強奪戦もあったほど誰もが憧れたアディダスのスニーカー。ある時、メンバーのジャム‧マスター‧ジェイが手に入れたばかりのスーパースターを自慢するために、シューレースなしで履いたことに由来するとか。その際に着用していた黒いハットと、黒いアディダスのジャケット、ブラックデニム、そしてスーパースターが、のちの彼らのスタイルのアーキタイプとなり、日本へと渡り、HF氏と高木完氏による伝説的ヒップホップユニット、タイニー・パンクスなどに継承されるのだが、その話はまた別の機会に……。
……と舌の根も乾かぬ間に、三度ボムするHF氏ネタ。1990年代、彼を崇拝する裏原キッズたちの間でも大流行したスーパースターであったが、彼が選んだのはオールドスクーラー的にお約束の白×黒ではなく、フランスメイドで通好みの黒×白。〈BOUNTY HUNTER バウンティーハンター〉のディレクターであるHIKARU氏が学生時代に新宿アルタで購入したのもそうだし、さらには〈STUSSY ステューシー〉の創設者であるショーン・ステューシーが履いていたのもそう。
また、スーパースターとカラーリングといえば、シュータンに施されたブランドネームやロゴがゴールドカラーの通称“金ベロ”を連想する人も多いだろう。1980年代〜90年代まで存在した人気のディテールだが、その主張の強さから着用を躊躇していたファンも少なからず存在する。そんな人々を喜ばせたのが、モノクロの通称“単色ベロ”を備えた1982年モデルの復刻。あれほどゴールドが尊ばれた1980年代は今や昔。そう実感させられるエピソードだ。
ちなみに、バッシュとしての機能的優位性に目を付けたのはB(ブレイキン)ボーイだけではなかった。裏原宿でキッズたちがHF氏のスタイルに熱狂していた同じ頃、ハロルド・ハンター、ドレイク・ジョーンズ、ジョーイ・バストといったアメリカのカリスマスケーターらも、スーパースターを履いてストリートをゴン攻め。スケートシューズとしても評価も獲得していった。この頃リリースされた、廉価なレザーアッパーと通常よりも厚いシュータン、スケシューに近い履き心地のアレンジモデル「SUPERSTAR 2 スーパースター2」の存在もまた、その事実の証明となっている。
(→〈adidas〉とRun-D.M.C.に関する別の特集記事はこちら)
(→アディダスの「スーパースター」をオンラインストアで探す)
〈adidas アディダス〉
【往年の定番スニーカー③】
「CAMPUS キャンパス」
サブカルチャーと密接にリンクする、
オルタナティブな存在感
ミュージシャンやストリートから絶大な人気を誇る往年の定番モデルとくれば、忘れてはならないのがもう一足。「CAMPUS キャンパス」だ。プロフィールには1983年誕生と記されているが、原型を遡ると1968年発売のバスケットボールシューズ「BLACKSTAR ブラックスター」にまで行き着く。
スーパースターの項では、NBAチーム、サンディエゴ‧ロケッツの選手が着用したことが人気獲得の契機となったと述べたが、こちらは同じくNBAチームのボストン・セルティクスに関係する。スター選手でも1足のシューズで何試合もプレーしていた1950年代、同チームでは“選手が汚れたままのシューズを履いているのはプロらしさに欠ける”と、汚れの目立たない黒のシューズの着用を義務づけた。そこでアディダスが開発したのが、当時としては高級な黒のスウェード素材に白のスリーストライプスをあしらった同モデルだったというわけだ。
その後、1972年には豊富なカラーウェイを揃えた後継モデルとして「TOURNAMENT トーナメント」が登場するも、当時のバスケットコートには、圧倒的着用率を誇るスーパースターが君臨していたため、さして脚光を浴びることもなく不遇のまま引退……と思われたが、1983年に転機が訪れる。アディダスはこれまでの装いを一新し、フルモデルチェンジへと踏み切ったのだ。
アッパーには柔らかなスウェード素材、ソールには耐久性の高いヘリンボーンパターンを採用。シュータンとサイドにブランドロゴやモデルネームの類は入れず、ヒール部のトレフォイルロゴとスリーストライプスのみで勝負するストロングスタイル。こうして今日我々が知る、ライフスタイルシューズとしてキャンパスが生まれた。さて、肝心の再デビューの結果だが、話題を集めるも残念ながら人気は振るわず、ほどなくして生産中止に……。
とはいえ先述のB-BOYたちからは人気を集めていたようで、ブルックリン生まれの写真家ジャメル・シャバズ氏の写真集『Back in the Days』のページを開くと、ファットシューレースに変えたキャンパスを履きこなす人々の姿が、色鮮やかに記録されている。これは局地的なムーブメントだったのかもしれないが、同モデルのその後の方向性はここで概ね形作られたとも言える。その証拠に、世界中のユースカルチャーにおいてヒップホップの重要性を認識され出した1990年代に入ると、このシューズは改めて脚光を浴びるのである。
その立役者がニューヨーク発の三人組ヒップホップグループ、BEASTIE BOYS。元々はハードコア・パンクバンドだった彼らだが、同じレコードレーベルに所属する先輩、Run-D.M.C.の影響を受けてラップを始めるようになり、ヒップホップに傾倒。その影響はファッションにも表れ、スーパースターを愛用していたが、その後、自らのレーベル「Grand Royal グランドロイヤル」設立を機にキャンパスに履き替えて、自分らのアイコンとした。
また、BEASTIE BOYSとキャンパスの関係はそれだけではない。1991年、メンバーのマイケル‧ダイヤモンド(通称マイク‧D)は、二人の仲間と共同でストリートファッションブランド〈XLARGE エクストララージ〉を立ち上げ、旗艦店をロサンゼルスにオープン。当時、既に廃番となっていたキャンパスをはじめとするオールドスクールなローテクスニーカーも店頭に並び、ここで提案された彼らのスタイルは、翌1992年に発表された、アルバム『CHECK YOUR HEAD』のジャケットでも確認できる。
ちなみに同店の店長を務め、のちに〈SARCASTIC サキャスティック〉を設立するポール・高橋は「フランス製のキャンパスの在庫を全米中から買い集めた」と回想している。ここ日本においても、同年に東京にオープンしたエクストララージの日本第1号店の店頭に並んだことで注目され、さらにはその翌年、原宿にオープンした伝説的ショップ「NOWHERE ノーウェア」でも、NIGO氏がアメリカから買い付けてきたデッドストックが販売され、ローテクスニーカーの定番としての地位を強固なものとしていった。かようにサブカルチャーと密接にリンクするエピソードの豊富さも、キャンパスがストリートで支持される要因の一つと考えられる。
(→〈adidas〉とBEASTIE BOYSに関する別の特集記事はこちら)
〈adidas アディダス〉
【往年の定番スニーカー④】
「COUNTRY カントリー」
破天荒すぎる刑事も履いた、
ジーンズに合うスニーカーの代名詞
「やあ、調子はどうだい!」。
このひと言で、勘の良い読者諸兄ならばピンとくるかもしれない。“往年の定番”スニーカーのトリを飾るのは、“ジーンズに合うスニーカー”としても名高い「COUNTRY カントリー」。1973年に、クロスカントリー用のランニングシューズとしてデビューした本モデルは、定番にカテゴライズされてはいるものの、コロンとした愛くるしいフォルムと特徴的なディテールにより、一度見たら忘れられないインパクトを放つ。
そもそもクロスカントリーというスポーツは、雪山を駆け抜けるクロスカントリースキーや、XCレース(自転車競技)など多岐に渡り、カントリー誕生のきっかけになったクロスカントリーランニングは、原野や丘陵、森林といった起伏に富んだコースを走ってタイムを競い合う。この記述からも想像がつくように、シューズに要求されるのは、“いかに足への負担を軽減するか”という点と、軽快な履き心地。アディダスはこの課題に対し、計算され尽くした多様なディテールで答えている。
天然皮革製のアッパーは、内部の通気性を保ちながらも長距離を快適に走るために必須のサポート力と安定性を兼備。足の揺れを最小限に抑えつつ、快適さと機能性を両立させている。加えて、グリーンとホワイトのコントラストが美しいミッドソールも見逃せない。硬度の異なる2種のクッション材、EVAを重ね合わせるセメント製法を世界で初めて採用し、悪路でも安定した履き心地と高いクッション性を発揮する要所となっている。
続いて、カントリー最大の特徴であるアウトソールにも目を向けよう。カカト部分に巻き上がるように設計することで、足全体を包み込むような着用感を叶える。様々な自然の障害を乗り越えていく際に、突起が少ないフォルムはストレスのない走りへと誘う。余談だがこの巻き上がったソールデザインは、車の運転時にシフトチェンジする際にも有利に働くということで、ドライビングシューズとして履く人も多いとか。
波打つように刻まれたパターンは、横方向から均一なトラクションが掛かることで優れた防滑性に寄与する。初期モデルでは、ソール全面均一なヘリンボーン柄だったが、ツマ先とカカト部分の幅をやや太めに設計し直すことで、踏み込みや着地といったアクション時に地面との接触面をしっかり密着させ、さらにグリップ力を向上。
以上の点から、非常に優れたシューズであることはお分かりいただけただろう。その証拠に、1976年9月に発売された雑誌『POPEYE』創刊号にも掲載され、アンテナの高いファッションフリークたちの羨望の的となっていた。だが当時は日本国内での正規取り扱い店がなく、一部ショップが少数の並行輸入品を扱うのみという残念な状況だったカントリー。これが1980年代中頃、突如ブレイクを果たすこととなる。
これには2つの要因が重なったのが理由とされる。ひとつは、急激な円高により、それまでの半額以下で販売されるようになったこと。もうひとつが、1984年公開のアクション・コメディ映画『ビバリーヒルズ・コップ』の劇中で、主演のエディ・マーフィー扮する型破りな刑事、アクセル・フォーリーがカントリーを着用したこと。
本項の冒頭のひと言は、彼のお決まりのフレーズとしてお馴染み。ジャストサイズで穿いた〈LEVI’S リーバイス〉の「501」にカントリーを颯爽と合わせた姿が、彼のご機嫌なマシンガントークとシンセ炸裂のメインテーマ曲とともに、今でも印象深く脳裏に刻まれている人も多いはず。
ところで、そんなアクセル・フォーリー刑事が2024年夏、30年ぶりにNetflix映画『ビバリーヒルズ‧コップ:アクセル‧フォーリー』でカムバックしたというニュースはご存知か。あの特徴的すぎる笑い声こそなりを潜めているが、スタジャン&ジーンズ&スニーカーのスタイルは健在。ポスタービジュアルでは、カントリーではなくスーパースターを着用しているようだが、さて、劇中では……!? 気になる答え合わせはぜひ、ご自身の目で。
極めてシンプルにしてベーシック、されど汎用性に優れた “テラス系”、時代や流行に関係なく、老若男女に愛され続ける“往年の定番”と、視点を変えながら前後編にわたって、アディダスの名作アーカイヴを掘り下げてきたが、いかがだっただろうか。
冒頭でも述べたが、今夏最大のトピックといえばスポーツに関わる全ての人々にとっての夢舞台・オリンピック。奇しくも三つ葉のトレフォイルロゴが、古代スポーツで勝者に授けられる“月桂樹の冠”をモチーフにしたにしたものであるという事実もまた、奇妙なシンクロシティと思わずにいられない。
次は4年後のロサンゼルスか。その時また “IMPOSSIBLE IS NOTHING(不可能なんてあり得ない)”を掲げ、人々の心を揺さぶるアディダスと、そのプロダクトの魅力を、お届けできればこれ幸いである。
これにてMission accomplished.
(→揺がぬ人気〈アディダス〉の【テラス系スニーカー編】はこちら)
Illustration: Hisayuki Hiranuma