「M-65」「M-51」「ジャングルファティーグ」…。究極の実用品フィールドジャケットの魅力。
よって細部に至るまで幾度となくアップデートが繰り返される宿命にあり、その結果、時代ごとに多種多様なモデルが存在する。そして当然だが、そのどれもが実戦を想定し考え抜かれたデザインとその時代における最新の機能性を兼ね備えている。
つまりミリタリーウェアは「究極の実用品」なのだ。
一方で、実用品ゆえの使い勝手の良さと機能美の結晶のような無駄のないデザインから、ファッションアイテムとしてもタウンユースで広く取り入れられてきたことは、もはや周知の事実だろう。
今回の『knowbrand magazine』では、ミリタリーウェアの中でも、主に野戦用に開発された「フィールドジャケット」のマスターピースをピックアップ。実用品にしてファッションの一角をも成すその圧倒的なまでの魅力に迫ってみようと思う。
M-65など混同されがちな
「M-○○」モデル。
「ミリタリージャケット」には、戦闘機などの飛行機乗りたちのための航空用「フライトジャケット」と主に陸地での戦闘の際に着用される野戦用の「フィールドジャケット」という二つの系譜がある。今回はM-65、M-51、BDUジャケットなどの魅力に迫る。
(→フライトジャケットに関する記事はこちら)
フィールドジャケットの中で、おそらく最も耳慣れた名称は、「M-65」ではないだろうか。
このM-65の「65」という数字は1965年を指しており、この年に制式採用されたモデルを表している。実際には1965年に採用されたのはなにもジャケットだけではなく、軍用装備品としてのM-65には、当然他のアイテムも存在している。このことがミリタリーウェアを掘り下げる中で、しばしば混乱を招く要因のひとつとなっている。
中でも特に混同されがちなのが「M-○○」と呼ばれるモデルのフィールドジャケットなのだ。
「M-51」という名の
ふたつのフィールドジャケット。
1951年にアメリカ陸軍に制式採用された軍用装備品が通称「M-51」だ。
M-51という言葉の響きから、すぐに別のネーミングがピンときた方は、おそらくミリタリーや英国のファッション、カルチャーがお好きな方であろう。
そう「モッズコート」だ。
厳密な規定がある訳ではないが、一般的にモッズコートといわれるのは、アメリカ陸軍の野戦用のコートのことで、米軍規格(ミルスペック)により規定された名称は「PARKA SHELL M-1951」である。
ジャケットでもコートでもなく「パーカ」というカテゴリーであり、「モッズパーカ」と呼ばれることも多い。
この「M-51パーカ」は、1960年代頃のイギリスで細身の三つボタンスーツに身を包んだ「モッズ」と呼ばれる若者たちが、ベスパなど愛車のスクーターに乗る際、防寒や大切なスーツを汚れから守るために羽織りはじめたことで大流行。こうしてM-51パーカは、モッズコート(モッズパーカ)というネーミングで定着したのだ。
(→モッズに関連する記事はこちら)
この時のM-51パーカは、米軍の放出品(サープラス)であり、モッズ達が隆盛を極めた時代を踏まえると、「本物」のモッズコートと呼ぶにふさわしいのは、実のところこのM-51パーカだけといえよう。
M-51パーカは、コートと呼ぶにふさわしい丈の長さ、ボディと一体型の大型フード、肩のエポレット、後身ごろの燕尾状の裾、着脱式のライナーなど独特のデザインを有している。またもうひとつの特徴は、そのサイズ感だ。そもそも通常のフィールドジャケットの上に羽織って更なる防寒性を確保するオーバーコートのため、全体的に大きめのシルエットなのだ。そのサイズ感は、くしくもオーバーシルエット、ビックシルエットがトレンドの昨今、取り入れやすいといえるだろう。
さて、このあたりでもうひとつのM-51を紹介しよう。 「COAT, MAN’S, FIELD, M-1951」、通称「M-51フィールドジャケット」だ。
米軍規格ではコートとされ、余計にM-51パーカと混同されがちなのだが、実際には寒冷地用の防寒戦闘ジャケットという方がしっくりとくるはずだ。
よってそのデザインはM-51パーカとまったく異なっている。ミディアム丈にフードなしの通常襟、前面には4つの大型のフラップ付きポケット、袖口はボタンで2段階に絞ることができる。また着脱式ライナーで防寒性を高められる点はM-51パーカと共通だ。
このM-51フィールドジャケットは、細かな改変を繰り返し1964年頃まで生産されたのだが、我々の多くがイメージするミリタリージャケットの原型はすでに具現化されていたといえるだろう。
「M-65」という名の
ふたつのフィールドジャケット。
1965年、M-51フィールドジャケットにさらなるアップデートが施される。そして誕生したのが、「M-65フィールドジャケット」である。
1965年の制式採用から2008年まで、およそ40年以上という長きにわたりアメリカ軍の現用戦闘服であった傑作にしてフィールドジャケットのひとつの完成形である。
誕生以降、数度のマイナーチェンジを繰り返し、M-65フィールドジャケットは成熟していく訳だが、M-51からのもっとも大きな変更点は、防寒対策を考慮し採用された立ち襟(スタンドカラー)だろう。
また背面肩部に機動性の向上を目的としたアクションプリーツが設けられ、袖口には調整がしやすい「パイルアンドフック」、手の甲部保護用の三角ストラップが取付けられたことなどだ。
M-65フィールドジャケットは、そのデザイン面、機能性を含めた完成度の高さから他国のフィールドジャケット開発にも大きな影響を与えた。
また、その影響力はファッション業界にも及んでおり、よりファッション性を高めたり、タウンユースに適したスペックにカスタマイズしたりと、多くのアパレルブランドから毎年のようにM-65タイプのジャケットがリリースされている。一方で、依然として軍放出品のオリジナルや現行品、民生品なども多く流通しており、ミリタリージャケットのアイコンと言っても過言ではない不朽の名作なのだ。
ところで、このM-65にも先のM-51と同じく、もうひとつのフィールドジャケットが存在し、しばしば混同されてしまう。
モッズコートことM-51パーカの進化型である「M-65パーカ」だ。
基本的にはM-51パーカからのデザインを継承しているもののボディと一体型であったフードが、着脱式となったことが最大の変更点だ。また肩のエポレットも省略され、よりシンプルなデザインとなっている。
フードを装着しているとデザインがM-51パーカと酷似しており、M-65パーカもモッズコート、モッズパーカとして認識されることも多い。しかしモッズが全盛の1960年代のイギリスで、当時最新であったM-65パーカを彼らが着用したとは考えにくい。「本物」のモッズパーカを、とお考えの諸兄はM-51パーカを探されることをお勧めする。
フィールドジャケットの
新たなフェーズ
「ゴアテックスパーカ」。
1985年、アメリカ軍のフィールドジャケットの歴史も新たなフェーズへと突入する。
そこで登場したのが、M-65フィールドジャケットの後継モデル通称「コールドウェザーパーカ」だ。
特筆すべきは、このジャケットに使用された素材だ。「外からの水は通さず内からの湿気は通す」世界初の防水透湿性素材であった「GORE-TEX」を使用したのだ。そのため「ゴアテックスパーカ」と称されることの方が一般的である。
(→GORE-TEXに関する記事はこちら)
大型のフードに、使い勝手が考え抜かれ配置された各ポケット、脇の「ベンチレーション」など実用面も折り紙付きだ。当然、実戦用戦闘服であるのだが、アウトドアブランドのマウンテンパーカとも通ずる洗練されたデザインは、タウンユースでも違和感なく取り入れることができ、秀逸というほかない。
このゴアテックスパーカは、アメリカ軍が現在も採用している「Extended Cold Weather Clothing System(拡張式寒冷地被覆システム)」=「ECWCS(エクワックス)」の第一世代として開発されたものである。ECWCSはいうなればレイヤード(重ね着)システムであり、ゴアテックスパーカ以外のアイテムも存在する。その場の状況に応じて、インナーからアウターまでの各種アイテムを組み合わせることで、極めて寒冷な環境にも対応できるのだ。
現在は、第三世代となるECWCS。世代違いも含め、ゴアテックスパーカとは別のECWCSアイテムを探してみるのもおもしろいだろう。
熱帯地域適用の
傑作フィールドジャケット
「ジャングルファティーグ」と
「BDUジャケット」。
さてここで時代は再び1960年代にさかのぼり、熱帯地域でのフィールドジャケットにも目を向けてみたいと思う。中でもヴィンテージアイテムとしても高い人気を誇るのが、熱帯地域対応戦闘服である通称「ジャングルファティーグ」とよばれるジャケットだ。
アメリカは、1960年代前半ベトナム戦争に本格介入。ジャングルファティーグは、ベトナム戦域の高温多湿な気候に対応すべく開発されたジャケットである。取り出し易さを考慮し斜めに配された胸ポケットが特徴的だ。他のミリタリージャケット同様、生産時期によるディテールの違いによりいくつかのモデルに分類され、世界中にジャングルファティーグのコレクターも多く存在する。中には、半袖にカスタマイズされたものもあるあたりは、熱帯地域対応モデルならではだ。
日本でのタウンユースを考えた時、半袖も含めればジャングルファティーグは、かなり守備範囲の広いフィールドジャケットということができるだろう。
タウンユースでの守備範囲の広さでいえば、1981年に制式採用された通称「BDUジャケット」も外せない。BDUとは「Battle Dress Uniform」の略で、ずばり戦闘服のことであり、陸海空軍の戦闘服を統一化する目的で開発されたといわれている。
BDUジャケットで目を惹くのは「ウッドランド」と呼ばれるカモフラージュ柄だ。その名の通り森林地帯(=ウッドランド)での着用を想定して開発され、「カモフラ」の代名詞的な傑作パターンである。
BDUジャケットは当初、中間気候帯向けのモデルであったが、のちに熱帯地域などにも適応する薄手の生地を採用したモデルも誕生。
熱帯地域用は、軽量、快適な着心地であり、すこし肌寒い時のライトアウターにはもってこいだ。合わせてウッドランドカモも、普段のコーディネートのアクセントとしても取り入れやすく、非常に使い勝手に優れたアイテムといえる。
海の上の頼れる相棒
「N-1 デッキジャケット」。
ここまでは主に陸上におけるフィールドジャケットを見てきたが、海上で任務に就く艦艇乗務員にとってのジャケットも忘れてはならない。
1940年代から50年代にかけてアメリカ海軍所属の艦艇搭乗員に支給されていた「N-1 デッキジャケット」である。
冷たい波しぶきや強風が吹き荒ぶ甲板での作業は、極めて過酷な環境である。そのためN-1デッキジャケットは、肉厚で耐久性に優れた肉厚のコットンを用い、ジップとボタンによる二重の前立て、内側を全面ボア張りにするなど、様々な工夫が随所に施され、高い保温性も確保している。まさに海の上の頼れる相棒だ。
機能性は担保しながらも無駄のないシンプルな意匠から、タウンユースでも重宝するN-1。リプロダクトモデルも多く生まれている人気モデルだけに、オリジナルの希少性は年々高まっており、ヴィンテージ市場でのプライスは高騰し続けている。
「スカジャン」に見る
ミリタリーにまつわる
カルチャーの一端。
フィールドジャケットにあらずだが、ある種ミリタリーにまつわるカルチャーの一端という意味で、無視できないジャケットがある。それが「スカジャン」である。
多少乱暴な言い方をするならば、スカジャンとは第二次世界大戦後、日本に駐留していたアメリカ軍兵士達のための「土産品」のことだ。事実1940年代から50年代には、「スーベニア(土産)ジャケット」と呼ばれていたという。
土産品として売られていたスーベニアジャケットには、日本の伝統的な刺繍技法で東洋風の柄が施され、その独特の雰囲気からアメリカ兵たちの間で人気となった。その後1970年頃には、アメリカ軍横須賀基地周辺の日本の若者の間でも流行。スーベニアジャケットは、次第に「ヨコスカジャケット」と呼ばれ、それが転じ「スカジャン」という名が一般化したといわれている。
近年パンチの効いた刺繍が特徴のスカジャンが、再び注目を集めている。
一方で数年前から広がりをみせ、すっかり一般化した「ノームコア」。限りなく無個性なファッションに身を包むことで、自身の本質を主張しているともいえるスタイルだ。
ある種スカジャンのリバイバルをノームコアへの反動と捉えた時、うつろいゆくファッショントレンドの中に天邪鬼な人の性が見え隠れするようでおもしろい。
世の中の事象の多くが、変化を繰り返し、進化をしていく以上、「不変」であることはとても難しい。
より高い機能性を求められる「究極の実用品」であるミリタリーウェアは、変化し進化する典型であり、不変とは対極にある存在だ。スタイリッシュであるだとか、より見栄えがするだとか、ファッション的視点を意識してのディテールやデザインなど存在しえない。
だが不思議なことに、ファッションとは真逆にあるはずのミリタリーウェアは、軍事における実用という本来の目的を終えてなお、我々の生活にファション(日常着)として溶け込んでいる。
それも変わることなく愛され続ける「不変な存在」として。
ミリタリーウェアは、それほど魅力的なアイテムなのだ。
ヴィンテージの人気の高さやリプロダクトの多さは、ミリタリーウェアの朽ちることのない実用性と不変性への敬意の表れではなかろうか。また多くのファッションブランドのデザイナーたちは、ミリタリーウェアにデザインソースを求めるという。それは長く愛される実用的で不変的なプロダクトをつくりたいと願うがゆえなのかもしれない。