FASHION
Hypothesis of Polo-shirt

いくばくか飛躍的なポロシャツにまつわる仮説。

日本の夏の宿命ともいうべき蒸し暑さは、我々に少なからずの憂鬱さをともなってしばしまとわりつくわけだが、ただそれに耐え続けるというナンセンスな行動をとるほど我々は愚かではない。まずはその装いを軽くするだろう。

しかし軽装となると、おのずとアイテム数は限られてしまう。とはいえ、大人の身だしなみに洒落っ気は忘れたくないもので、そこで問題になるのが何を身にまとうか、である。

条件はわりと厳しい。汗ばむこと必至の蒸し暑き日本の夏には、吸汗性は必須。なおかつ繰り返される洗濯をももろともしない堅牢なつくりも重要。さらに一枚でサマになり、カジュアルな雰囲気ながらも品の良さも同居していれば、なお良し。

そんな欲張りな要望に答えうる夏の一枚といえば、「ポロシャツ」ではなかろうか。

あまりにありきたり。そう思われるかもしれない。だがちょっとお待ちを。皆さんは「ポロシャツ」の出自をどれほどご存じだろうか。そう問われて、梅雨の空模様よろしく雲行きが怪しくなってはいまいか。つまりは『knowbrand magazine』としてもポロシャツの歴史を紐解くというテーマは、無視できないのである。

ポロシャツの起源のあいまいさ。

先に断っておくと、日本でも広く愛用される「ポロシャツ」であるが、その起源は実は定かではないのだ。

正確にいうならば「なぜポロシャツと呼ばれるようになったのか」がはっきりしない。実にあいまいなのである。

ポロシャツに近いネーミングに「ポロカラーシャツ」というものがある。1896年に〈Brooks Brothers ブルックス・ブラザーズ〉が生み出したシャツのことで、英国伝統の馬術球技である「ポロ」において選手が身に着けていたユニフォームの襟先が風でめくれないようにボタン留めされていたことに着想を得たものといわれている。一般的には「ボタンダウンシャツ」といわれている定番だが、これはあくまで長袖のドレスシャツなのであって、誰もが想像するポロシャツとはまるで別物だ。(→関連する記事はこちら)

ところでかつてのポロ競技のトップスウェアは、ブルックス・ブラザーズがデザインソースにした襟付きのものとはまったく趣の違う「襟のない半袖Tシャツのようなもの」も一般的だったといわれている。いずれにしろ、もともとポロ競技では、現在のようなポロシャツは着用されていなかったというわけだ。

では、我々が想像するポロシャツは、いつ、どのようにして生まれたというのであろうか。

オリジンはポロシャツにあらず。

俗にいうポロシャツとは、コットンの編地でできており、首元に襟が付き、2個ないし3個のボタンのある短めの前立てを有したプルオーバータイプのスポーティーな半袖シャツのことをいう。

このデザインの生みの親は、ルネ・ラコステ。1920年代に活躍し、数々のタイトルを手にしたフランスの名テニスプレイヤーにして、世界的ブランド〈LACOSTE ラコステ〉の創始者である。

1920年代当時のテニス選手は、格式高い紳士淑女のスポーツといわれるだけに、裾までフロントボタンのついた長袖のドレスシャツを着用していた。だが当然、動きにくい上に吸汗性も低く、快適なプレーは難しかったようだ。もちろんルネ・ラコステも不満を抱いていたのだろう。アイディアマンとしても有名であった彼は、機動性に優れ、吸汗性も高い快適なテニスウェアの必要性を感じ、その開発に乗り出す。

開発にあたって彼が目を付けたのが、先述した当時多くのポロ競技者が身に着けていた「襟のない半袖Tシャツのようなもの」だったという。柔らかく通気性の高い編地は申し分なく、そこに紳士然たるべく襟と短い前立てを付け加えた当時としては革新的デザインの半袖シャツを仕立て上げたのだ。

あらゆるポロシャツのオリジンこと〈LACOSTE〉の「L1212」

表面の隆起や透かし目の生地感が、鹿の子供の背中にみられる白いまだらのようで、日本では「鹿の子」と呼ばれる編地もラコステが生み出した

おわかりかと思うが、ルネ・ラコステが生み出した半袖シャツは、ポロ競技用のシャツを基にしてはいるが、あくまで「テニス」用に開発されたもの。だがこの「襟付きの半袖スポーツシャツ」こそが、我々の思い描くポロシャツと呼ばれるデザインのオリジンであることには違いはない。

ルネ・ラコステは、健康面の理由などから1929年25歳にして現役生活にピリオドを打ったが、彼が生み出したシャツは、その機能性の高さからテニス界はもとより、同じく紳士淑女の競技であるゴルフ界でも高い評判を得てゆくことになる。

そして1933年、この襟付き半袖スポーツシャツの一般販売が開始された。その時のネーミングは「ラコステのシャツ」を意味する「CHEMISES LACOSTE シュミーズ・ラコステ」であり、キャンペーン用の広告にはこうあった。

“POUR LE TENNIS,LE GOLF,LA PLAGE(テニスに、ゴルフに、浜辺に)”

そこに「ポロ競技」は含まれていない。そう、この時点でもオリジンはポロシャツにあらず、だったのだ。

だが、テニス、ゴルフなどでそのスペックの高さを発揮していたラコステのシャツだけに、それと似通ったデザインのものが、のちにポロ競技のユニフォームとしても採用さるようになったと考えても不思議はなかろう。

ブランドマークは、ワニのように食らいついて離さないプレイスタイルからつけられた、ルネ・ラコステ氏のあだ名にちなんでいる。左胸にワンポイントをあしらう手法もラコステが発祥

ストリートに融合したテニスウェア。

現代よりも階級社会の意識が強かった1930年代、格式高きテニス界において、ワーキングクラス出身でありながら、英国人で初めてウインブルドン大会三連覇、世界四大大会で優勝するという偉業「グランドスラム」を達成した伝説のプレイヤーとして知られるフレデリック・ジョン・ペリー。彼が創設者となり、氏のニックネームを冠し1952年にイギリスで誕生したのが〈FRED PERRY フレッド ペリー〉である。

通称「FRED PERRY SHIRT フレッド ペリー シャツ」と呼ばれる「M12」は、フレッド ペリーのアイコン的存在にして、テニスウェアながら、ストリートウェアとしても世に浸透した歴史的アイテムといえるだろう。

特徴的なのは襟と袖口に入る「ティップライン」と呼ばれる2本のラインだ。中でもMAROON(マルーン)と呼ばれるボディーカラーにICE(アイス)と呼ばれる青みがかった色のティップラインが入るモデルは、ぜひ押さえておきたい一着だ。

〈FRED PERRRY〉で12番目にデザインされたモデル「M12」は、いまもイギリス製にこだわる

実はこのカラーリングは、ロンドンのプロサッカークラブ「ウェストハム・ユナイテッドFC」のチームカラーと同じであり、これは当時のサポーターたちの強い要望にブランド側が応えるかたちで1957年に生まれたという逸話をもつ。熱烈なサポーターたちの中心は、ワーキングクラスの若者たち。そんな彼らの声に耳を傾けたのは、創立者のフレデリック・ジョン・ペリー自身が労働者階級出身であったことが大きく影響しているかもしれない。

いずれにしろ、その柔軟な姿勢にブランドとしての器の大きさを感じると同時に、純然たるスポーツウェアブランドとしてスタートを切ったフレッド ペリーがイギリスのストリートファションシーンに広く受け入れられていった要因といえるだろう。

事実M12は、オシャレに異常なほどのこだわりを持ち、当時のファンショントレンドをけん引し、1960年代に大きな盛り上がりをみせた「モッズ」と呼ばれたワーキングクラス出身の若者たちに好まれることになる。(→関連する記事はこちら

繰り返しの着用と洗濯にも耐えうるスポーツウェアならではの堅牢さは、金銭的な余裕のない若者にとっては大きな魅力であり、タイトなシルエットと当時斬新であった襟と袖口の「ティップライン」は、きわめて細身な着こなしをよしとする高感度なモッズ達のニーズに合致したのだろう。

襟と袖口の「ティップライン」が特徴

よってフレッド ペリーのM12は、テニス用のウェアという枠組みなどいとも簡単に超え、イギリスのミュージックシーンやスキンヘッズやパンクス、ネオモッズといった様々なカルチャー・ムーブメントと密接に絡み合いながら、日本をはじめ世界中のストリートシーンに融合してゆくのである。

胸の「ローレルリース(月桂樹)」は、かつてウインブルドンのマークにも採用されていたといわれ、ウィンブルドンサイドより正式な使用認可を得て誕生したという

ポロシャツという呼称の普及に関する仮説。

ラコステによってテニスウェアとしてフランスで生まれた鹿の子生地を使用した襟付きの半袖スポーツシャツは、機能性を評価されゴルフをはじめとした他のスポーツでも着用されるようになった。またイギリスで誕生したフレッド ペリーの同じくテニス用半袖シャツは、モッズを核とした時代のニーズと合致し、ファッションアイテムとしての地位を築いてゆく。

さてここで、冒頭に記した一文を思い出してほしい。

「なぜポロシャツと呼ばれるようになったのか」がはっきりしないのだ。

ラコステ、フレッドペリーともに元テニスプレイヤーが創設者であり、テニスのための競技ウェアの開発・展開が当初の目的であった。よって両ブランドが生み出したシャツは、本来ならば「テニスシャツ」という呼称で普及しそうなものだ。

しかし競技人口でいってもテニスの方が圧倒的に多いにもかかわらず、実際にはポロシャツという呼称が一般化しており、その謎は深まるばかりである。たとえそれが日本だけの呼称であったにせよ、ならばなぜポロ競技と極めて馴染みの薄いこの国で普及したのだろうか。

あくまでひとつの仮説だが、ポロシャツという呼称がここまで浸透したのには、あるブランドのロゴが大きく影響したのではないだろうか。

ご存知〈POLO RALPH LAUREN ポロラルフローレン〉のロゴである。

あまりにも有名な〈POLO RALPH LAUREN〉のロゴ

1967年、ラルフ・ローレンことラルフ・ルーベン・リフシッツは〈POLO ポロ〉という名でブランドを立ち上げ、ネクタイのデザイン・販売を開始。1968年に、メンズコレクションとしてポロ ラルフローレンをスタート、1971年にはレディスウェアの展開も始めた。

そもそもブランド名にポロと冠したのは、ラルフ・ローレンがスポーツと馬が大好きだったからだともいわれているが、イギリスのトラディショナルなスタイルを好んでいた氏だからこそ、英国の伝統的馬術スポーツであるポロの名を選んだとも考えられるだろう。

そして1972年、通称「ポロプレイヤー」または「ポロポニー」と呼ばれる「あのロゴ」が胸元に刺繍されたラコステやフレッド ペリーのものと似通ったデザインの半袖シャツを24色という豊富なカラーバリエーションで発表。これが一世を風靡したのだ。

1972年、胸に「ポロプレイヤー」ロゴが刺繍されて登場した半袖シャツ

どうだろう、このポロプレイヤーの刺繍が胸に配されたシャツの登場によって「襟付きの半袖スポーツシャツ」=「ポロシャツ」というイメージが決定づけられ普及していったのではないか、というのはいささか飛躍が過ぎる仮説だろうか。

ちなみにブランドアイコンのポロプレイヤーロゴが誕生したのは、くだんの半袖シャツが生まれる1年前の1971年。当初は女性用のドレスシャツの袖口にさりげなく配されていたという。ポロ ラルフ ローレンとい名を掲げるブランドのロゴの出自ですら、つまりはポロシャツという呼称と関係していなかったというのも実に驚きである。

テニス用のシャツとして誕生しながら、どこか凛とした品格ある佇まいにより洒落者を魅了し、暑い時期を快適かつファショナブルに過ごせるアイテムとしてすっかりお馴染みとなった襟付きの半袖スポーツシャツ。日本においてはその競技者もほぼ皆無なうえに、試合を観る機会すらないに等しいにもかかわらず、そのシャツは「ポロシャツ」として、妙に親しまれているという不思議。

ポロ競技で着用されていたことから命名されたというかねてからの通説もあるが、その信憑性もどうやら低いようだ。他方、その呼称が根付いた経緯に関して今回述べた説にもなんの裏付けもない。とはいえ何気なくそう呼び、手に取り、身に着け、日常の一部となっているファッションアイテムに宿る知られざる歴史ミステリーに、知的好奇心をくすぐられることの、なんと心地良いことだろうか。

探究し続け、唯一の真実たる答えにたどり着いた時の喜びは、計り知れないであろうし、その瞬間への激しい憧れもある。だが、謎は謎のままとしておくことに少なからずの奥ゆかしさを感じるのもまた事実。

いくばくか飛躍的なポロシャツにまつわる仮説。

この夏、ポロシャツをまとう度に、そんな仮説を笑い飛ばすもよし、謎の真相に思いを巡らせるのもまたよかろう。

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