CULTURE
UK Vol.02

元smart編集長・佐藤誠二朗が、 「反逆」「不良」のシンボル「ダブルライダース」の歴史に迫る。

昨今、流行が再燃しているレザーのライダースジャケット。

ライダースと言えば、フロント胸部のレザーが二重になった「ダブル」のものを思い浮かべる人が多いだろう。いまやファションアイテムとして定着している「ダブルライダース」の根底には、不思議なことに「反逆」や「不良」といったイメージがつきまとう。ライダースが我々の心を惹きつけるのは、誰しもが潜在的に反逆への憧れを持っているからなのかもしれない。

ダブルライダースは、「UKストリートスタイル」の変遷と共に成立、認知されたアイテムである。その流れの中で、いかにしてロックっぽくてセクシー、そしてちょっと不良っぽさを醸し出すファッションアイコンになったのだろうか。

街中にたむろする若者たちから自然発生的に生まれたストリートスタイルを、時代ごとに詳細に解説した書籍『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』の著者であり、雑誌『smart』の元編集長・佐藤誠二朗氏が、バイクウェアであったライダースジャケットが反逆のシンボルとなり、「ストリート・トラッド」なファッションアイコンとなっていく歴史に迫った。

パンクスが決定づけた
「ライダース=反逆」のイメージとそのルーツ

UKストリートファッション史の中で、ライダースジャケットの印象が最も濃厚になるのは、1970年代半ば〜後半のパンクス全盛期であろう。ストリートのパンクスがファッションのお手本としたミュージシャンの中では、ムーブメントの中心部にいたセックス・ピストルズの二代目ベーシスト、シド・ヴィシャスのスタイルが一際目を引く。

パンクの権化のようなシド・ヴィシャスは、いくつかのライダースを愛用していたことが確認できるが、特に1950〜60年代初頭に販売された〈Schott ショット〉の「618」など、裾にフロント留めのベルトが付いたアメリカ仕様、通称「アメジャン」がお気に入りだったようだ。

「アメジャン」の代表格〈ショット〉の「618」

セックス・ピストルズ、ザ・ダムドと共に三大ロンドンパンクの一つに数えられるザ・クラッシュの面々も、ライダースの着こなしは完璧だった。フロントマンであるジョー・ストラマーは、腰の両サイドにアジャスターベルトが2本ずつ付いた、〈Lewis Leathers ルイスレザーズ〉の傑作「LIGHTNING ライトニング」などを愛用していた。イギリス仕様のこの形はロンドンジャンパー、略して「ロンジャン」と呼ばれている。

「ロンジャン」の代名詞〈ルイスレザーズ〉の「ライトニング」

1970年代のロンドンパンクスは、ライダースに少量のスタッズやバッジ、チェーンなどを飾ることはあったが、あまり手を加えずそのまま無造作に着ることも多かった。

しかし1980年代に登場したハードコアパンクスの間では、ライダースに思い思いの大胆な加工を施すことが流行る。コーン型やピラミッド型のスタッズを革にびっしり打ち込み、サポートするバンドの缶バッジをいくつもつけ、バンドロゴをペイントするのだ。

ハードコアパンクスと言えば、こうした派手でいかつい“鋲ジャン”が代名詞のようになった。彼らはカスタムベースのライダースを手に入れると、DIYで誰よりも派手でかっこいい改造をしようと競った。形はロンジャンが好まれたが、ルイスレザーズのような高価なライダースではなく、名もなきブランドの傷物など、安い古着を使うことが多かった。

スタッズやバッジ跡のある傷物ライダースはカスタムベースにはうってつけだった

Photo by: PYMCA/UIG via Getty Images
鋲だらけのライダースを着た、80年代のハードコアパンクス

細部のつくりが雑で、薄くて粗い革を使ったこうした安価な中古ライダースを、当時の日本のハードコアパンクスは、ロンジャンではなく「パキジャン」と呼んだ。その多くがパキスタン製だったからである。

1970〜80年代にパンクファッションの一角となることによって、本来はバイクウェアであるライダースジャケットに「反逆」のイメージが付いた……。というわけではなく、実は「ライダース=不良」の公式は、もっと前の時代に成立している。

ロンドン・パンクのライダーススタイルは、1970年代前半に登場したニューヨークパンクのラモーンズやジョニー・サンダース、パティ・スミスなどを模倣し、発展させたものと考えられる。そしてもっと遡ると、1950〜60年代のアメリカのバイカーズ及びイギリスで流行したロッカーズのスタイルへとたどり着くのだ。

カリフォルニアからロンドンの若者へ_
継承されたライダーススタイル

ダブル襟のレザージャケット=ライダースを日常的に着るようになった若者集団の元祖は、1950年代にアメリカのカリフォルニアを根城とした「バイカーズ」と呼ばれる者たちである。

もちろんそれよりも前に、ライダースはバイク乗りの間に普及していた。1900年代初頭に広まったダブルブレステッドのロング丈レザーコートが、1930年代になるとバイクに乗るときの姿勢が取りやすいようにショート丈に改良される。ライダースジャケットの起源だ。

しかし当時のライダースは完全な「実用品」であった。ダブル襟によって冷たい風の侵入を防ぎ、分厚い革によって万が一転倒したとしても負傷の度合いを軽くするのが目的で、バイクに乗るときだけ着られるようなものだった。

一方、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊は、ショットなどのレザーウェアメーカーが作った「A-2フライトジャケット」という、シングル襟のレザー製「ボマージャケット」を採用、戦闘機乗りに広く着用されていた。

A-2を着て戦った若い兵隊は、第二次世界大戦が終結すると故郷に復員したが、帰還兵の一部は、死線をさまよった戦争中の興奮状態からなかなか冷めず、平和な世界を築こうとする戦後社会にどうしてもなじめずにいた。そしてカリフォルニアの若者はボマージャケットの代わりにライダースを羽織り、爆撃機の代わりに大型バイクにまたがり、爆音を撒き散らしながら戦場に見立てた街を走り回るようになったのだ。

彼らがそれまでの一般的なバイク乗りと違っていたのは、バイクに乗るときだけではなく、ライダースを日常的に着たこと。愛用の理由はただひとつ、ライダースジャケットが悪そうでかっこよかったからだ。当時、ダブル襟の黒いレザージャケットは、ナチスのゲシュタポが着ていたロングレザーコートを彷彿とさせたため、悪を象徴するイメージが強く、周囲を威嚇するようないかつさを増幅させるかっこうの小道具だったのだ。

こうしたバイカーズの荒々しい姿を描いたのが、1953年に公開されたマーロン・ブランド主演のアメリカ映画『ザ・ワイルド・ワン』である。当時の社会には刺激が強すぎるほどの暴力描写がされていたため、イギリスでは1968年まで公開されなかった映画だ。

マーロン・ブランド扮するバイカーズのリーダー、ジョニー・ステイブラーは劇中で、肩のエポレットに星型のスタッズを配したダブルのライダースを着用していた。このライダースについては公式な記録が残っておらず、1950年代に発表されたショットの伝説的モデル「ワンスター」であるという見方と、〈Durable デュラブル〉社製の「ワンスターライダース」であるという見方があり、映画公開から60年余り経過した今でも、ライダース好きの間で議論の的となっている。いずれにしても、マーロン・ブランドの強烈なイメージによって、「ライダース=不良」の公式が成立したといえる。

エポレットに星型スタッズを配した〈ショット〉の「613」

イギリスの若者は、映画のスチール写真やポスター、伝わってくる噂話などから、悪くてかっこよさそうなバイカーズという集団の存在を知り、自分たちも真似してみようと試みる。

ロンドンを中心とするイギリスに登場したバイク集団は当初、コーヒー・バー・カウボーイズ、あるいはトン・アップ・ボーイズと呼ばれた。コーヒ・バー・カウボーイズはカフェに集って自分のマシンを自慢し合いながら公道でレースを楽しんでいたことから、トン・アップ・ボーイズは時速100マイル以上で走ることを意味するイギリスのスラング“Doing the ton”からきた呼び名だ。

金欠のロッカーズが発明した
ライダースカスタム文化

1960年代に入ると呼び名はいつしかロッカーズへと変わっていた。彼らが新しい時代の音楽、ロックンロールのナンバーを好んで聴いていたからだ。だが実はこの呼び名、彼らの対抗勢力であったモッズが、「ロックンロールばかり聴いているアホなやつら」という揶揄の意味を込めて付けたものであり、当の本人たちは面白く思っていなかった。

常にライダースを着ていたことからレザーボーイズとも呼ばれた彼らだったが、イギリスのアンダークラス出身者が中心であったため、マーロン・ブランドが映画の中で着ていたとされるショットのワンスターなどのような、アメリカ製の高価な革ジャンには手が出せなかった。貯金をはたいてバイクを手に入れ、それを改造したり手入れしたりしなければならなかったので、服にまではなかなか金を回せなかったのだ。

そもそもアメリカのバイカーズは帰還兵が中心。アメリカは1950年からはじまった朝鮮戦争に刺激され経済が好調であり、彼ら帰還兵はG.I.BILLと呼ばれる復員軍人援護法によって生活がある程度保障されていたので、高価なバイクや革ジャンを手に入れやすかった。

対するイギリスは大戦後の経済が困窮を極めていたため、金に余裕のある若者はほとんどいなかった。そこで彼らの多くは安ものの合皮製ジャンパーに身を包み、本場のバイカーズを模倣した。

しかし安価なものであるが故に、彼らは新しいスタイルを生み出すことができた。ライダースにバッジやワッペンを付け、さらに真鍮製のスタッズを打ち込んだりペイントを施したりして、自分だけのオリジナルに仕立てたのだ。

〈UNDERCOVER アンダーカバー〉の「ダブルライダース」 スタッズカスタム文化は現代のブランドにも息づいている

後の時代のハードコアパンクスが継承したライダースのカスタム文化は、このころのロッカーズが考案したものなのである。

ロッカーズが全盛期を迎える1962年には、自身もバイクマニアであった英国聖公会の神父ビル・シャーゴールドが、たまり場となっていたロンドンの「エースカフェ」に集うロッカーズのために教会を開放。社会から白眼視される不良少年たちの良き相談者となり、59クラブというバイクチームを結成した。

59クラブのメンバーとなったロッカーズ、また時を経て1960年代後半に登場したロッカーズのエクストリーム版であるグリーサーズの間では、シンプルなシングル襟のライダースも好んで着られるようになった。

「シングルライダース」 ダブルに比べるとミニマルでシャープな印象を与える

「アメジャン」と「ロンジャン」の違いは、
バイクの形状から生まれた

ライダースにはフロント留め式の腰ベルトが施された、ショットに代表される「アメジャン」と、腰の両サイドにアジャスターベルトが付けられた、ルイスレザーズに代表される「ロンジャン」があることは前述した。シド・ヴィシャスの例を見れば分かるように、アメジャンが否定されていたわけではないが、ロッカーズからパンクスへと流れるUKストリートカルチャーでは、どちらかというとロンジャンの方が好まれた。

アメジャンとロンジャンではベルト以外にもいくつかの相違点がある。アメジャンは比較的大ぶりでゆったりと着るものであり、対するロンジャンは体にぴったりフィットするタイトなものが好まれる。また着丈は、アメジャンは短くロンジャンは長い。これらの違いは、アメリカとイギリスのバイクの形の違いによって生まれたものだ。

ハーレーダビッドソンに代表されるように、アメリカの大型バイクは上体を起こして座り、足と腕を大きく前に伸ばし、ゆったりと乗る。そのためにアメジャンは大ぶりな作りで、座った姿勢をとったときにダボつかないよう、着丈は短めにされた。

対するイギリスのバイク、特にロッカーズが好んだようなカフェレーサー仕様のスピードを追求するバイクは、空気抵抗を減らすため上体を倒し、屈み込むような姿勢で乗る。アメジャンのようなフロント留めのベルトでは、バックルでタンクを傷つけてしまうので、サイドアジャスター方式となり、また屈んだ姿勢では背中が出てしまうので、着丈は長くなったのだ。

ストリートスタイルのルーツを探っていくと、このように現在では見過ごしている服の本来の意味を見つけられることがある。これもまたファッションの楽しみの一部なのかもしれない。

ダブルライダースは
トラッドなファッションアイコンへ

かつてオシャレとは、なるべくリッチに着飾ることと同義だった。できる限りドレスアップし、本来の自分よりも上の階級に見られるようにすることが、ファッションの本質であると考えられていたのだ。

だが、やがてストリートの若者は、それまでファッションとは無縁と思われていた実用品を身に纏い、着崩すことで社会に対する反逆の意思を示すようになった。バイクウェアである「ダブルライダース」をワードローブとしたバイカーズとロッカーズは、そうしたドレスダウンカルチャーの原点なのである。

元祖・ドレスダウンファッションであるダブルライダースは、それ以降いつの時代も、癖の強い反逆のウェアと認識され続ける。故に、曲者だらけのロックスターに愛されたのも当然だったのだろう。

ロックっぽくてセクシー、ちょっと不良っぽさを醸し出す、癖の強い「ストリート・トラッド」なアイコンとして、今も人気が高いライダースジャケット。その癖の強さを上手く取り入れれば、日々のコーディネートにパンチを加えてくれる極上のスパイスとなるだろう。

Text by Seijiro Sato

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