CHANEL

シャネル
HISTORY

カリスマがデザインした女性の新たなライフスタイル。
1910 | PARIS,FRANCE  | GABRIELLE BONHEUR CHANEL

プレタポルテ(高級既製服)やバッグに財布、ピアスやネックレスなどのアクセサリー、さらには香水にコスメ…、数々の名品で世界中の女性たちを夢中にしてきたラグジュアリーブランド〈CHANEL シャネル〉。

1910年、ココ・シャネルことガブリエル・ボヌール・シャネルがパリに開いた帽子店「CHANEL MODES シャネル・モード」がその歴史のはじまりだ。豪奢さが全盛の時代に彼女の打ち出したシンプルなスタイルの帽子はたちまち評判に。1913年、新たにオープンしたブティックで発表されたスポーツ向けのジャージー素材を用いた洋服のコレクションは、当時のファション界に衝撃を与えた。

その後シャネルは順調に規模を拡大、事業は香水にまで及び、1921年ブランド初の香水のひとつとなる「CHANEL No.5 シャネルナンバー5」が誕生。No.5は、調香師が提示した5番目のサンプルをシャネル自身が採用したことに由来する。かのマリリン・モンローも愛用し、1952年の『LIFE』誌のインタビューで「寝るときにまとうのは、シャネルの香水、N°5だけ」と答えたという有名なエピソードまで。1924年には「メイクに光を」という言葉のもと、初のメークアップコレクションを発表、以降コスメティックの部門でも成功を収める。同年には、主に紳士用とされていたツイードで仕立てた女性用のスーツを発表。ツイードスーツは現在でもシャネルのアイコンのひとつとなっている。1926年、それまで喪服の印象が強かった「黒」を用い、極めてシンプルな「THE LITTLE BLACK DRESS ザ リトルブラックドレス」を発表、再び業界に衝撃をもたらした。

その後もシャネルは成長を続け、1935年には従業員4000人を抱えるまでに成長。だが第二次世界大戦の勃発により、一部の部門を残してブティックは閉鎖、ココ・シャネル自身もデザイナーを引退した。しかし1954年、齢71にして彼女はファッション界に突如復帰。翌1955年2月には「THE 2.55 BAG」を発表。当時ハンドバッグが一般的だった中で、チェーンストラップを肩に掛けることで女性の両手を開放した世界初のショルダーバッグと言われている。

ココ・シャネルは、他にもイニシャルを組み合わせたモノグラムをブランドロゴに用いたり、女性のパンツルックを提案し一般化したり、型崩れや傷を防ぐ実用性とデザイン性を兼ね備えた「マトラッセ」と呼ばれるキルティング加工を開発したりと、語り尽くせないほどの革新と功績を残し1971年に逝去。ブランドとしてのシャネルはその後一時低迷するが、1983年に〈Chloé クロエ〉や〈FENDI フェンディ〉で活躍していた「モードの皇帝」ことカール・ラガーフェルドがデザイナーに就任、2019年1月に他界するまでシャネルを牽引し、ブランドは見事に輝きを取り戻した。

幼くして両親を亡くし、孤児であったというココ・シャネル。そんな身の上から、たった一代で世界に誇るラグジュアリーブランドを築いた彼女は、間違いなく人を惹きつけ、それまでの常識を覆し新たな秩序をもたらしたカリスマであった。彼女のクリエイティブにより女性のファッションは一変し、現代ファッションの礎となった。実のところ、彼女がデザインしていたのはファッションなのではなく、新たな女性のライフスタイルだったのかもしれない。

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