Columbia Sportswear Company
受け継がれる「ユーザーニーズを具現化する」という”マザー”の意思。
1938 | OREGON,USA, | PAUL LAMFROM/Gert Boyle
アウトドアブランドとしてお馴染みの〈Columbia Sportswear Company コロンビアスポーツウェアカンパニー〉。実はこのブランドを世界規模にまで成長させたのは、”マザー”と呼ばれたひとりの女性だった
その前身となる会社が、アメリカ・オレゴン州でドイツ移民ポール・ラムフロムによって設立されたのは1938年。構えたオフィス近くのコロンビア川にちなみ〈Columbia Hat Companyコロンビア ハット カンパニー〉と名付けられた帽子製造を主とした会社だった。
同社の歴史を大きく変えたのが、先述の”マザー”ことガート・ボイル。彼女は創業者ポールの娘で、後にコロンビア社長となる夫のニール・ボイルとともに事業拡大に尽力。1960年にはスキーグローブの製造会社と合併し、コロンビア スポーツウェア カンパニーが誕生した。コロンビアのアイコンアイテムのひとつとなっている「マルチポケットフィッシングベスト」は、この頃にガート・ボイルが夫とその友人のリクエストを聞き、自らミシンで手作りしたものがベースとなっている。時に彼女が「アウトドア界の発明家」と呼ばれのは、こうしたユーザーの求める高い機能性を具現化できるその才能ゆえだろう。
だが新会社となってほどなく、創始者のポールが他界。跡を継いだ夫ニール・ガイルもまた1970年に急逝してしまう。残された多額の借金と三人の子供たちを前に、一度は事業の売却も考えたガードだったが、そこから一念発起し再建に向け舵を切る。
その苦労は想像を絶する過酷なものであったに違いない。しかし母は強し。彼女は持ち前のタフネスとアイディアで、アウトドア界でのコロンビアのステータスを押し上げてゆく。中でも大きな契機となったのは、アウターとインナーそれぞれのジャケットがジッパーで連結でき、気候の変化に応じ3通りの着こなしを可能にした「インターチェンジシステム」だ。この画期的なシステムを採用した「Bugaboo Parka バガブーパーカ」は多くのユーザーのニーズを満たし、全米で100万枚の売上を樹立。1989年にはアウトドアウェアブランドとして、ついに米国内シェアNo.1を獲得する世界有数の企業にまで昇りつめた。
いまやマウンテンパーカーやダウンジャケットといったアウター類だけにとどまらず、リュックや靴といった装備にいたるまで数多くのアイテムを展開するコロンビア。残念ながら2019年、ガート・ボイルは95歳で天に召されたが、ユーザーの求めを具現化してゆくというマインドは、彼女がフィッシングベストを作ったあの日と同じ熱量のまま、今もしっかりと同社に受け継がれている。