NIKE

ナイキ
HISTORY

奇跡のテクノロジーが人々を魅了し熱狂させる。
1971 | OREGON,USA | Phil Knight/Bill Bowerman

スニーカーをカルチャーにまで高めたといっても過言ではないブランド、〈NIKE ナイキ〉。

その前身となったブルーリボンスポーツ社は、スタンフォード大学で経済学を学びながら陸上選手としても活躍していたフィル・ナイトと、オレゴン大学の陸上コーチだったビル・バウワーマンによって1964年に設立された。

当初は日本のシューズブランド、オニツカタイガーのアメリカ販売代理店であったが、徐々にシューズの製品開発にも携わるようになり、ビル・バウワーマンのアイデアにより「TIGER CORTEZ」を開発。このシューズはブルーリボンスポーツ社が扱う製品の中でも看板商品となったが、輸送や発注に関してオニツカタイガー社との間でトラブルが頻発したため、自社でシューズを製造販売する道を模索し始める。

1971年にはオニツカとの提携を終了。ギリシャ神話の勝利の女神である「NIKE ニケ」にちなんだ〈NIKE ナイキ〉の社名のもと、現在も同社のトレードマークである「SWOOSH スウッシュ」がデザインされたオリジナルシューズの製造販売を始める。ちなみに、初期の「NIKE CORTEZ」などは、日本のアサヒコーポレーションに製造を委託したこともあり、マニアの間では非常にクオリティが高いことで知られている。 1972年にはナイキ初のバスケットシューズ「Blazer Hi」を、1974年には「Waffle Trainer」をリリース。滑りにくくグリップ力の強い画期的なソールとして大ヒットしたこのワッフルソールは、ビル・バウワーマンが朝食のワッフルを見て思いついたものだという。

1978年には、ソールにエア(空気)を搭載するという奇跡的なエアテクノロジーを採用した「AIR TAILWIND」を発表した。1982年、同じくエアソールを搭載したバスケットシューズ「AIR FORCE 1」も発売。バスケットプレイヤーの動きに合わせて同心円を描くソールのデザインや足首を守るストラップなどが好評を博し、プレイヤーから支持を得る。そして当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイケル・ジョーダンを広告塔に立て、1985年から続く「AIR JORDAN」シリーズがスタート。ジョーダン本人が引退後の現在でもそのリリースは継続されている。

1980年にはACGシリーズ誕生のきっかけとなったアウトドアシューズ「APPROACH」をリリース。ACG=All CONDITIONS GEAR、つまり全天候対応型ギアとして、1991年の「AIR HUARACHE」や「AIR MOWABB」などの名作のほか、アパレルなどもリリースしているこのシリーズ。2014年に黒を基調としたモードな雰囲気を纏ってリニューアル、2018年に旧ロゴが復活し、新たなファンを獲得している。

1987年には、ミッドソールに搭載されたエア部分を見せるというあ革新的なアイデアの「AIR MAX」がリリース。「AIR MAX 90」を経てリリースされた「AIR MAX 95」は、人体の筋肉や骨格にヒントを得たというグラデーションのデザインと7カ所の窓から主張するエア構造という斬新なビジュアルで日本中を夢中にさせ、熱狂的な社会現象を巻き起こした。

2000年には、自分好みのカラーリングをオーダーできる画期的な「NIKE iD」を公式サイトで受注開始。

さらに初代AIR MAXの誕生からちょうど30年後の2017年3月26日には、その後継として「AIR VAPORMAX」がリリース。ミッドソールを必要としない構造により、エアユニットがソールそのものになったかのような大胆なデザインは、ナイキのテクノロジーと挑戦し続ける姿勢を表現している。

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